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今日ソーラーパワーで首をカクカク動かす置物を眺めていました。
こういった置物は好きなんですが、買ってから置き場所に困ったり。
これを見ていてふと思ったことがあります。
もしこの置物に意思があるとして、生を実感しているだろうかという疑問。
これは「生きるとは何か」という問いそのものであります。
この置物にはソーラーパネルという一種の才能があり、それによって首を動かし人を和ませるという力があります。
しかしながら、それは「出来る」ことであって「やりたい」ことではありません。
もしかすれば、置物は頭ではなく足を動かしたいのかもしれない。
おそらくこの置物にとって「足を動かしたい」という願望を目標に日々邁進することが置物の生きる意味であり目的であり目標であるように思います。
そこに「それは無理だ」という意思が生まれた瞬間、置物にとって生きる意味や目的、理由を失います。
よく就職活動などの場面で「自分には何が出来るのか」という疑問をいつも自分に浴びせている人を見かけますが、それは「違う」ように思います。
何が出来るのかではなく、何をしたいのか。
これは子供な考えなのかもしれません。
しかし、これは生きるという場面にとって非常に大きなことだと思います。
やりたいことがあったらそれをやればいい。
しかし、どんなことにもリスクが伴う。
それをやっていくためには今どうしたらいいのか。
そこが非常に重要。
今日は置物に少し考えさせられました。